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「雨垂れ石を穿つ-十年の結実-」誕生まで10年の軌跡

<目次>

1.はじめに

  商品名「雨垂れ石を穿つ」とラベルデザインの「!」。「雨垂れ石を穿つ」10年にあたって。

2.「雨垂れ石を穿つ」誕生

  a.まぼろし

   最後の「山田錦」が突然の消滅

  b.奇跡

   地元を襲った台風の洪水被害と「吟吹雪」奇跡の収穫

  c.挑戦

   江戸時代の醸造手法が生んだ鮮烈な美味しさ。そして地域への感謝

3.コロナ禍だからこそ

  a.酒蔵は何をすべきか

   大打撃を受ける日本酒業界と飲食業界

  b.日本酒が持つ力

   日本酒を飲むこと、流通することが、つなげる力、つながる力になる

  c.クラウドファンディング・プロジェクト「またみんなで笑いたい」

   日本酒流通のしくみを活かした酒販店・飲食店支店の取り組み

  d.コロナが教えてくれたこと

   日本酒のつながり、よろこびは広がる

4.創業300周年への思い

  a.コロナ禍の270周年

   「継続する」意思、続けると強く決意する

  b.「/300(パー・スリーハンドレッド)」

   30年かけて醸す日本酒プロジェクト

5.伝統と革新

  a.進化する酒米栽培

   酒米の栽培は地域での酒蔵の担い

  b.進化する「雨垂れ石を穿つ」

   10年で結実したこと、これからの「雨垂れ石を穿つ」

<はじめに>

今からさかのぼること10年。「雨垂れ石を穿つ」が生まれた平成25年は乗り越えがたい出来事が次々と起きた年でした。

そして、そのような出来事から生まれた「雨垂れ石を穿つ」は10年の間に日本国内はもとより、海外でもご愛顧いただけるようになりました。そして10年前に果たせず、幻と化していた酒造りをようやく実現することができ、「雨垂れ石を穿つ-十年の結実-」として蔵出しの運びとなりました。

酒名の「雨垂れ石を穿つ」(あまだれいしをうがつ)は、こつこつと努力すれば必ず成果は表れるという意味の言葉です。また同時に感動、興奮、驚きを表す「!」(ビックリマーク)のことを日本語で「雨垂れ」と呼ぶことも、このお酒の命名の由来となっています。そのため、ラベルデザインの随所に「!」が配されています。お酒を手に取って「!」を探してみてください。

困難を乗り越えて生まれた「雨垂れ石を穿つ」は人を励まし、勇気を与えてくれるお酒だと感じています。新型コロナウイルスの感染が拡大し、大きな試練にある時も「雨垂れ石を穿つ」が私たちと私たちの大切な人たちを勇気づけてくれました。

「雨垂れ石を穿つ」誕生から10年の軌跡を辿りたいと思います。

<「雨垂れ石を穿つ」誕生>

-まぼろし―

平成25年8月。「山田錦」の栽培に取り組む地元の農家さんが亡くなりました。

「山田錦」の栽培は普通の米と異なり栽培が難しく、ほとんど収穫できない年もありましたが、この農家さんは困難な「山田錦」の栽培に早くから取り組んでくれました。協力していただける農家さんがなかなかいない中、とても頼りにしている存在でした。

農家さんが亡くなった後も「山田錦」は順調に育ってくれましたので、最後となる「山田錦」での酒造りで農家さんの長年の努力に報いようと心に誓っていました。

しかし、あろうことかこの農家さんが育てた最後の「山田錦」が他の米と間違って収穫され、農協の大型集積施設に持ち込まれて他の多くの米と混ざり、消失してしまいました。地元での「山田錦」栽培のパイオニアとして取り組んでくださった農家さん最後の「山田錦」をお酒にしたかった。その思いがまぼろしと化したことに、言いようのない落胆を感じました。

-奇跡―

同じく平成25年、念願かなって萩乃露が主力としている酒米「吟吹雪」の栽培が地元で初めて実現しました。それまでは琵琶湖の対岸の産地で栽培されたお米を使用していたのです。

萩乃露は「山田錦」と「吟吹雪」を組み合わせた仕込みが得意ですので、先ほどの最後の「山田錦」と初めての「吟吹雪」で純米酒を醸造する心づもりでした。

しかし、悪いことが続きました。

大型台風の直撃で地元河川が氾濫したのです。堤防を破壊した水の勢いはすさまじく、未曽有の被害をもたらしました。辺り一面で収穫目前の稲穂が濁流になぎ倒され、収穫はとても望めない状態でした。実は「吟吹雪」は浸水被害を受けた地域で栽培していたのです。

平成25年9月18日 台風18号による被害の様子

被害地域は交通規制が敷かれ、立ち入ることが出来ませんでした。

水が引き、交通規制が解かれると、「吟吹雪」の様子を不安な気持ちで見に行きました。

付近一帯の田んぼでは収穫前の稲穂が濁流になぎ倒されていました。悲惨な状態に言葉を失いました。そんな状況にも関わらず、「吟吹雪」は一部が泥で汚れているものの、大半の稲穂が被害を受けることなく無事だったのです。奇跡的なことに我が目を疑いました。

しかし後に、台風の中、農家さんが「吟吹雪」を守るために泥を掻き出すなど必死の努力をしてくれたことを知りました。

過去経験したことの無い自然災害に襲われ、地域全体が沈痛で暗い気持ちに落ち込み、傷ついていました。すぐにボランティアセンターが立ち上がり、地元建設業者による災害復旧活動も始まりました。地域の仲間と共に災害復旧活動に参加すると、県内外から多くのボランティアの方々が手伝いに来てくれていました。そして、ボランティアを差配する社会福祉協議会の皆さんが、きめ細かく被害を受けた住宅の状況を把握し、献身的に活動されている姿を見て感謝と感動を覚えました。

そして台風から一ヶ月。奇跡の「吟吹雪」は無事収穫を迎えました。

しかし、酒米は等級検査で3等以上の認証が受けられなければ純米酒には使えません。奇跡の「吟吹雪」は今年初めての栽培である上に浸水被害を受けており、厳しい結果が予想されました。

農家さんが祈る気持ちで見守る中検査が行われ、無事3等の認証が得られました。結果がどうあれ奇跡の「吟吹雪」を活かす酒造りに挑戦しようと心に決めてはいましたが、正直ほっとしました。

-挑戦―

まぼろしと化した最後の「山田錦」での酒造りへの未練は捨てきれませんでしたが、奇跡的に収穫できた「吟吹雪」を活かして美味しいお酒を造ると決意し、「雨垂れ石を穿つ」は生まれました。

痛めつけられた地域を元気にしたい。台風の中で「吟吹雪」を守ってくれた農家さんに報いたい。

そのためには蔵元としても新たな挑戦が必要だと感じていました。奇跡的に収穫できた「吟吹雪」の味わいをしっかりと味わえるにはどうしたら良いのか。暗中模索の中で「十水仕込」(とみずじこみ)に辿り着きました。

「十水仕込」は一言で言えば、極めて少ない水で仕込むのが特徴です。江戸時代後期の醸造手法で、現在はあまり行われていません。初めて挑戦した「十水仕込」は、醗酵管理も難しい上、できるお酒の量も少なく、現代の一般的な醸造法とはまったく勝手が違いました。

手探りでの初挑戦でしたが、今まで経験したことのない濃密で爽やかな、鮮烈な美味しさのお酒が出来上がりました。

そして翌年の平成26年秋に蔵出しの運びとなりました。しかし、未だ台風の爪痕が残り、今年も田植えが出来なかった農家さんもある中、「雨垂れ石を穿つ」を発売することが良いことなのか、そして「雨垂れ石を穿つ」独特の味わいが受け入れられるのかと不安に思いました。

しかし、地元の皆さんも喜んでくださり、また今まで飲んだことのない美味しさと好評をいただき、あっという間に完売することができました。

地元で収穫された米を「十水仕込」で醸した「雨垂れ石を穿つ」ならではの濃醇で爽やかな味わいは、その後国内外で開催されたコンテストでも高く評価されました。冷やしても、熱めの燗でも美味しく楽しめる驚きの幅の広さ。そして和食はもちろん、味わいの濃いイタリアンなどの洋食。そして日本酒が合わせにくい牛肉やバターといった食材との相性が良く、その懐の深さに作った私たちもびっくりしました。

「雨垂れ石を穿つ」の販売に際して、台風18号の際にボランティアセンターを立ち上げ献身的に取り組んでくださった高島市社会福祉協議会へのお礼として、同会が運営する赤い羽根共同募金会が取り組む「赤い羽根募金百貨店プロジェクト」に売上金額の一部を寄付させていただきました。寄付金は高齢化が進む地元の見守り活動資金として活用いただきました。

台風被害の状況、「雨垂れ石を穿つ」誕生についての動画です

<コロナ禍だからこそ>

-酒蔵は何をすべきか―

2020年4月、新型コロナウイルスの感染が拡大し、緊急事態宣言が発出されました。

お酒の提供が禁止され、萩乃露を日頃扱っていただいている飲食店、ホテル、旅館からもお客様が消えました。あっという間に日本酒の売り上げは半分以下に落ち込み、仕事が無くなりました。

必死に売上の回復に取り組むと共に、お酒に関わる酒販店や飲食店、そして飲み手もコロナの影響を受けている以上、萩乃露だけではなくお酒に関わる全ての人が回復できなければならないと強く感じる様になりました。そして、お酒が持つ力で何かできないかと考えるようになりました。

-日本酒が持つ力-

コロナが蔓延する中、急激に売上を落とした蔵元がクラウドファンディング(CF)を使って自社の生き残りをかけて応援を募る姿をよく目にしました。気持ちは痛いほど分かるものの、どこか違和感を感じていました。それは自分たちだけが生き残っても意味はなく、お酒に関わる流通すべて、そして飲み手が共に回復に向けて動けなければ本当にお酒を取り巻く世界は回復しないと感じていたからです。

酒蔵が造ったお酒をお客様に飲んでいただくまでには色々な方の手を介します。醸造したお酒を卸店や酒販店に販売し、酒販店はそのお酒を飲食店に販売します。そして飲み手は飲食店で美味しいお酒を飲みながら楽しい時間を過ごすことができます。2020年の秋、この日頃の流通の仕組みとつながりを活かし、酒蔵だけではなく、酒販店、飲食店、飲み手がもう一度繋がり、お酒を通じた楽しみを回復するCFプロジェクトに取り組みました。

-クラウドファンディング・プロジェクト「またみんなで笑いたい」―

https://readyfor.jp/projects/haginotsuyu

日本酒ファン、酒販店、飲食店、蔵元など日本酒に関わる全ての人が、日本酒を通じて、喜びや楽しさ、温かい気持ちのつながりを実感し、幸せを感じられることを目指しました。

新型コロナウイルスの感染拡大で日本酒に関わる状況も一変する中で、私たち蔵元に何が出来るのか、何が求められているのかをずっと考えていました。そして本来日本酒が持っている癒し、喜びを生み出す力、日本酒を販売する仕組みとCFを活用することで、蔵元だけでなく、酒販店、飲食店、そして消費者のすべてが幸せを感じられるしくみを、それぞれの魅力や特徴をいかしてつくりたいと強く思いました。

支援者さんの出資を得て、飲食店を応援する温かい気持ちを「雨垂れ石を穿つ」に込めて酒販店経由で飲食店に提供。支援者は支援飲食店で「雨垂れ石を穿つ」を飲みながら飲食店にエールを送り、久しぶりの楽しい時間を過ごす1本のお酒で人と人をもう一度つなげるという仕組みです。

ーコロナが教えてくれたことー

支援のお酒を送る飲食店は、支援者が指定することが出来ます。さらに全国9店の酒販店に協力を仰ぎ、コロナ禍の中でも必死に努力されている支援対象の飲食店をリストアップしていきました。

今回のCFプロジェクトでは、協力いただいく9店の酒販店にも支援金が入る仕組みにしていましたが、酒販店の皆さんから一店でも多くの飲食店に応援のお酒を送ってほしいので、自分たちへの支援は辞退するという温かい言葉をいただきました。その結果最終的には北海道から九州まで216店の飲食店に支援のお酒をお送りすることが出来ました。

そして支援者の皆さんへの返礼として、CF限定のお酒を醸造しました。CF限定のお酒は、萩乃露が20年以上にわたって保全に取り組んでいる地元の「畑(はた)の棚田」で栽培されたコシヒカリを用いた特別な「雨垂れ石を穿つ」でした。「畑の棚田」もコロナの影響を受け、得意先への販売が滞り途方に暮れていました。コロナの影響は色々なところに及んでいます。

158人の支援者の中には、返礼品の限定酒を自分は辞退するので、飲食店支援に使って欲しいとおっしゃる方もいました。また、コロナで苦労をしている生産者を助けなくてはとテイクアウトなどに取り組んでいた飲食店からは、生産者が大変な中で飲食店のことを思ってくれているとは思っておらず感激し奮起したという嬉しい声もいただきました。

私たちの出来ることは限られていますので、本当は日本全国の酒蔵にこの取り組みを広げ、大きな力にしたいと思い発信に力を入れましたが、私たちの力が足りず活動を広げられなかったことはとても残念でした。

CFプロジェクト「またみんなで笑いたい」とコロナ下の取り組み動画

<創業300周年への思い>

ーコロナ禍の270周年ー

萩乃露の創業は江戸時代中期の1751年。

新型コロナウイルスの感染拡大が収まらぬ中、2021年に創業270年を迎えました。

コロナ禍で緊急事態宣言や行動制限が繰り返され、飲食店ではお酒の提供が制限され、日本酒の苦境は続いている中で節目を迎えただけに、事業の継続を強く意識しました。また、先人が連綿と酒造りを続けてきてくれたからこそ今があることに改めて感謝し、力が湧いてきました。

ー「/300(パー・スリーハンドレッド)」ー

そして創業271年目にあたる2022年、30年後の300周年に向けた酒造り「/300プロジェクト」に着手しました。

「/300プロジェクト」は30年をかけて完成する日本酒造りのプロジェクト。

日本酒を醸造する際、水の代わりに日本酒を用いて仕込むお酒を貴醸酒と言いますが、「/300プロジェクト」では、まず初年度は「雨垂れ石を穿つ」を仕込水の代わりに使って「雨垂れ石を穿つ 貴醸酒」を醸造します。二年目以降は、前年に醸造した「雨垂れ石を穿つ 貴醸酒」を使ってさらに「雨垂れ石を穿つ 貴醸酒」を醸造することを毎年続けます。

萩乃露が300周年を迎える2051年、一体どんな「雨垂れ石を穿つ」になるかワクワクします。

誰も予想が出来ない30年後の完成形。酒造りのバトンを繋ぎ、これからも酒造りを続けていくという決意を込めたプロジェクトです。

<伝統と革新>

-進化する酒米栽培-

「雨垂れ石を穿つ」誕生から10年。

この間、萩乃露の酒造りはより美味しいを追い求めて日々進化を続けてくることができました。

地元高島市での酒米栽培も軌道に乗り、多様な酒米の栽培に取り組んでいます。5年前には「山田錦」の父親である「短稈渡船」の復活栽培にも成功。質、量ともに充実し、10年前に果たせなかった地元高島市産「山田錦」を全量用いた「雨垂れ石を穿つ」の醸造がついに可能となりました。

「山田錦」は酒米の王様。蒸した米に手で触れるだけでうっとりとする手触りの良さ、そしてお酒にすれば絶妙の深みある味わいを生み出します。「山田錦」の代表産地である兵庫県産にはまだまだ及びませんが、これからも地元での酒米栽培に取り組み、地域の担い手として酒造りに邁進していきたいと思います。

-進化する「雨垂れ石を穿つ」-

「雨垂れ石を穿つ」が持つ濃醇で爽やかな鮮烈な美味しさを追求し、様々な視点からその魅力に迫る酒造りに取り組んでいます。萩乃露の地元の風土を感じ、存分に滋味深い味わいをお楽しみください。

萩乃露

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